こんにちは。
相馬一進(そうまかずゆき)です。
以前私は、このようなタイトルで記事を書きました。
ご参考:「感動による適性テスト」
今日は、それとは反対の側面から同じ趣旨のことを
書いてみます。
つまり、「その人の嫌悪感によっても、
その人の適性がある程度わかる」ということ。
たとえば、ライティングの適性がある人は、
駄文(ダメな文章)に対して瞬間的に嫌悪感を持ちます。
一方で、ライティングの適性がない人は、
駄文に対して嫌悪感を感じません。
そしてこれは、ロジカルにじっくり考えなくても
瞬間的に見た「刹那」にわかるのです。
では、ここで駄文を1つご紹介しましょう。
【黄色いあのサルが食べているバナナは折れている。】
この文章を読んだとき、じっくり考えるまでもなく
瞬間的に嫌悪感を持たなかったとしたら、
ライティングの適性がない可能性が高いです。
なぜか?
この文は、文章の基本ができていないからです。
バナナという単語を修飾(説明)しているのは
2つあります。
・黄色い
・あのサルが食べている
このどちらもが、バナナの修飾語です。
そして、同じ単語に対して2つの修飾語がある場合、
文字数が少ないほうを修飾語の近くに置きます。
これ、文章の基本中の基本ですよね。
「黄色い」と「あのサルが食べている」では、
前者のほうが文字数が少ないため、
バナナの近くに置きます。
ですから、良い文章は下記です。
【あのサルが食べている黄色いバナナは折れている。】
ここで、駄文をもう一度書くので
良い文章と比べてみてください。
【黄色いあのサルが食べているバナナは折れている。】
さらに、これが駄文である別の理由もあります。
「黄色い」を「あのサルが食べている」の前に置くと、
「黄色い」が「サル」を修飾しているかのようにも
見えてしまうからです。
リスザルなど、体が黄色いサルも実在するので、
「えっ、サルが黄色いの? バナナが黄色いの?」
と読者は混乱してしまうのです。
もしバナナが黄色なら、
【あのサルが食べている黄色いバナナは折れている。】
と書くのがベストです。
もしサルが黄色なら、ちょっと工夫が必要で、
【体が黄色いあのサルが食べているバナナは折れている。】
とするのがよいでしょう。
「体が黄色い」と書くことによって
「黄色なのはサル以外にありえない」
と読者に思ってもらえるからです。
なぜなら、バナナには体がないからです。
また、バナナが黄色なのは、当たり前ですよね。
たしかに、黄色く熟れる前の緑のバナナとか、
熟れすぎて茶色になったバナナとか、
オレンジ色のバナナもあるにはあります。
でも、「バナナの色は?」と多くの人に聞けば
ほとんどの人は「黄色」と答えるでしょう。
ですから、わざわざ「黄色い」という修飾語を
使う必要がないのです。
【あのサルが食べているバナナは折れている。】
で意味が十分通じます。
もし、「黄色い」という修飾語を
どうしても使わないといけないとしたら、
その場に2色以上のバナナがあるときでしょう。
たとえば、サルが両手にバナナを持っていて、
片方が黄色でもう片方が緑だったとき。
この場合、どちらのバナナか特定するために
「黄色い」は入れたほうがいいでしょう。
と、ここまでロジカルに説明してきましたが、
この説明を読まないと改善案が思いつかなかったら
ライティングの適性がない証拠です。
ライティングの適性がある人は
駄文を見たときに瞬間的に嫌悪感を持ちますし、
さらにはこういったロジカルな説明もできます。
これって、ライティングに限らず、
どんな分野でもだいたい当てはまります。
ダメなデザインを見ても瞬間的に嫌悪感を持たないのは
デザインの適性がない証拠です。
ダメな音楽を聞いても瞬間的に嫌悪感を持たないのは
音楽の適性がない証拠です。
ダメな棋譜を見ても瞬間的に嫌悪感を持たないのは
将棋の適性がない証拠です。
ですので、その人の適性を判断するには
ダメなものを見せればいいのです。
・直感的に嫌悪感を感じているか?
・なぜダメなのかをロジカルに説明できるか?
・どう改善したら良くなるか説明できるか?
このあたりで判断できますね。