こんにちは。
相馬一進(そうまかずゆき)です。
世の中に新しいものが生まれると、
一定数の人々が必ず批判します。
最近で言えば、暗号資産やeスポーツなどが、
よく槍玉に上がるでしょう。
こうした傾向は今に始まった現象ではなく、
昔から続いています。
たとえば、明治時代には「野球害悪論」を
保守的な知識人が唱えていたのを知っていますか?
野球害悪論とは、文字通り
「野球というスポーツは人々に害悪だ」という主張です。
1911年の東京朝日新聞(現在の朝日新聞)には、
当時新しいスポーツだった野球を批判する
連載記事が載っていました。
旧5,000円札の肖像画で有名な新渡戸稲造を含む
多くの知識人が野球の問題点を説いていたのです。
その一部を列挙すると、次のような主張です。
・野球は対戦相手を欺く球を投げ、
ペテンにかけて盗塁する品性下劣な遊戯である
・疲労の結果として勉強を怠り、時間を浪費するのも問題だ
・右手で球を投げて右側で球を打つので、
右半身ばかり発達して学生の体格を壊してしまう
・掌への強い振動が神経に伝わると
頭脳を遅鈍にするかもしれない
・慰労会の名目で牛肉屋や西洋料理店などに行くため、
堕落へと近づいていくだろう
現代の目線で見ると「何言ってるんだこいつら?」
と感じますよね(笑)。
野球害悪論者はまさに「老害」でしょう。
※高齢者を「老害」と言っているのではなく、
年齢に関わらず、価値観が古くて迷惑な人を
「老害」と私は呼んでいます。
こうした野球害悪論を唱えた老害は、
世代交代が起きて退場するまで野球批判を続けました。
つまり、当時の老害たちは死ぬまで考え方が変わらず、
死ぬまで野球を忌み嫌っていたのです。
これは現代においても同様で、
老害はほとんどの場合においてスタンスを変えません。
「自分が間違っていた」などと
訂正し謝罪することは滅多にないのです。
(というか、頭が固いからこそ老害になるのであり、
思考が柔軟な人は老害にならないでしょう。)
幸いにして、老害が反発するような分野のほうが
既得権益のしがらみがなくて、
ビジネスでは結果が出やすいケースもよくあります。
だからこそ、基本的に老害は相手にせずに、
新しいものを理解できる人に伝えていくのが重要です。
新しいものを老害に伝えようとしても、
大抵は徒労に終わってしまうだけだからです。
相馬一進