こんにちは。
相馬一進(そうまかずゆき)です。
今日から、私の過去の話をしていきます。
まずは、私の「小学校」の頃の話です。
「ああ、友達と遊びたい」
自分の小学校の頃の記憶で、
一番強く、心に残っている衝動は何かと言われたら
この感情だったと思います。
まるで、マイケル・ジャクソンみたいですね。
私の母は、典型的な教育ママで、
私の父は、とんでもなく厳しい雷オヤジ、
でした。
何か父の逆鱗に触れるたびに、
父にぶん殴られたり、布団たたきで叩かれたり、
そんなことばかりが記憶に残っています。
正直、何が原因で怒られたのか、
今では全く記憶に残っていません。
ただ、今も身体の色々なところに
痛みの記憶だけは残っています。
とにかく父は厳しく、
母は教育ママでした。
幼稚園のお受験はありませんでしたが、
小学校に入る時からお受験させられ、
とにかく、習い事をした記憶ばかりです。
学習塾に、ソロバン、習字、英語、水泳。
あとは、ピアノとか、体操教室とか、
とにかく色々な習い事をさせられました。
世の中、色々な習い事があるんですね。
これ以外にも、今思い出せてない習い事が
たくさんあると思います。
おそらく週5日から7日くらい
色々な習い事をさせられていました。
友達はみんな遊んでいるというのに、
自分はずっと習い事ばかりで、
すごく孤独を感じていました。
家ではテレビが見せて貰えなかったですし、
テレビゲームの類もほとんどさせて貰えなかったので、
学校では、友達と話が合いませんでした。
友達に、
「相馬~、昨日の◎◎って番組、見た?」
と聞かれても、
「見てないよ」
と、いつもそれしか答えられず、とても寂しさがありました。
いや、正確に言うと、あまりに寂しすぎて
その感情にフタをして、感じないようにしていました。
昔から、私が感情をあまり表に出さない原因は
これが原因なのかもしれないですね。
そして、家に帰ったら、帰ったで、
学習塾の偏差値が70を超えなかったとか、
そんなことをよく言われていました。
成績で親が一喜一憂しているのを見て、
「ああ、結果を出さないと、自分は愛されないんだ」
と、すごく強く思っていました。
言ってみれば、無価値感です。
そして、その破壊的な思い込みは
中学に入るとさらにエスカレートしていきます。
コメント
貴重なご経験を読ませていただきました。普通?のご家庭より少し偏ったところがありましたね。子供にとってはさぞ窮屈でお友達と遊べなかったことは辛かったでしょう。今ではご両親のなさったことは全てあなた様のご成長を願うばかりの愛のほとばしりであったことに気付かれたことと思います。私はその反対で生まれつき病弱と貧困の中で育ち横浜大空襲の戦争の経験が少しあり、食のために北海道に開墾生活に入ってからはなお体を壊し、大好きな勉強も学校もチョコチョコとしか行けず,五年生は一日も行けず、六年に今の神奈川に来たのですが小学校は正味2年半ということです。そして無理やり中学へ。いくら勉強好きでも二年は落第したいのに学校側が許しませんでした。七十六歳の今でも
お金があったら毎日朝日カルチヤ・・スク・・ルに行きたいです。その点辛かったにせよ、私のような境遇でなかったことを感謝してください。パソコンが変わって、横の棒線が引けず済みませんでした。