こんにちは。
相馬一進(そうまかずゆき)です。
以前、こんな質問をされたことがあります。
「相馬さんは、“〜するべき”といったべき論を外したほうがいいと言っています。 その一方で、相馬さんのブログを読んでいると、 “こういう参加者が嫌い!” というように、 相馬さんご自身にもべき論があるように感じます。 そのあたりはどう考えていますか?」
このあたりは明確に基準があって、
参加者にとって有益なべき論は
あえて自分からは外さないようにしています。
たとえば、こういったものです。
・参加者が学ぶために、より良い環境を提供するべき
・セミナーでは本質を伝えるべき
・参加者には単なる承認ではなく、愛ある批判をするべき
・参加者の中にたまにいる、テイカーには対応するべき
などなど。
こういったものはべき論というよりも、
プロとしての矜持(きょうじ)だからです。
そして、これらは弊社の存在理由になっているのです。
つまり、お客さんから選ばれる理由であり、
私たちの誇りを作っている、譲れない信念です。
もちろん、こういったべき論の条件を満たせないと、
自分を苦しめうることも知っています。
たとえば、参加者に悪い環境を提供している、
と気づいてしまった場合、
「もっと改善できたことが、あったんじゃないだろうか……」
と私は自己嫌悪や罪悪感にさいなまれるでしょう。
「参加者が学ぶために、より良い環境を提供するべき」
というべき論がもし私になければ、
超いい加減なセミナーを開催しているはずです。
あなたは、超いい加減なセミナーを私が開催していたら、
それにお金を払いたいですか?(笑)
たとえるなら、べき論とは己を傷つける矢のことです。
プロとしての矜持とは、お客さんに貢献するために、
矢を自分の胸に突き刺すことなんですね。
そして、より良い環境を提供していない、
クソみたいな同業他社に弓を引くことです。
このあたりが分かっていない、
アマチュアとか二流の人が多すぎますね。
どんな分野であれ、プロとか一流の人とは
プロとしての矜持として、べき論という己を傷つける矢を
自分の胸に突き刺しています。
そして、それこそが両者のちがいを作るちがいなのです。
私は、自分の胸に矢を刺していないような
アマチュアとか二流の人とは仕事をしたいとは思いません。