こんにちは。
相馬一進(そうまかずゆき)です。
私の親孝行の記事への反応が
いつもよりもかなり良かったので、
今日はもう少し加筆しようと思います。
さて、私にとっての親とは、
人生で避けては通れない壁です。
なぜなら、私の親は「自己否定のカタマリ」で、
自己肯定感がないに等しいからです。
数年前、旅行へ行ったときにも、私が相当イライラすることがありました。
何かにつけて自分を過剰に卑下したり、
自分の意見も言えずに人の意見を聞いたり、
トイレなどを極端にガマンをしたり。
そういった自己肯定感が低い人の典型的な特徴が
今回の親の行動の中で散見しました。
私の中に、「自己肯定感は高めるべきである」という
べき論があるせいか……。
親のそうした態度を見る度に私はイライラしてしまうのです。
たとえば、ルイ・ヴィトンの店舗の前を通ったときも
親は「私には買えないブランドだから……」と言って、
不必要な謙遜をして同情を引こうとするのです。
キーホルダーなどの安い商品もありますから
決して買えないわけではないだろうに、
なぜイチイチ卑下するのだろうと感じました。
そういうところを見るたびに、
とても苦しそうだなと思う一方で、
「この人、いつまで経っても変わらないんだな」
という無力感が私の中にこみ上げてくるのです。
昔なら、そういったときに
弓を引いていたと思いますが、
なんかもう、今は麻痺しているんですよね……。
「この人は、一生変わらないんだろうな」という、
怒りや悲しみを通り越した、あきらめの感情が
体の中をどんよりと覆っているのです。
ある意味で、私が心理学を伝えたくなくなるときは、
この親と完全に和解できたときなのでしょう。
そして、「心理学の専門家」としての私のキャリアが終わり、
職業人としての死を迎えるタイミングも、
やはり親と完全に和解できたときでしょうね。
つまり、親との和解が「始まる」のは、
私の職業人としての死が「始まる」ことも意味しているのです。