こんにちは。
相馬一進(そうまかずゆき)です。
「本質」と似て非なる言葉に、「本物」があります。
私はこれらを明確に使い分けていますが、
両者のちがいがわからない人がいるんですよね。
両者の意味は辞書にゆずるとして、結論から言うと、
「本物」という単語を使おうとする人ほど情報弱者で、
「本質」という単語を使おうとする人ほど情報強者です。
なぜ、情報弱者は「本質」ではなく、
「本物」という単語を使おうとするのか?
その理由は明々白々です。
なぜなら、情報弱者は枝葉末節かどうかがわからず、
「本質」が何かを“論理的”に判断できないから。
ですから、「本質」という単語を使えないのです。
では、情報弱者は何を元に判断するのかというと、
“論理”ではなく、自分の“感情”です。
自分の”感情が強く動いたものについて、
「これは“本物”だ!」「この人は“本物”だ!」と
考えるのです。
これこそが、情報弱者が「本質」ではなく、
「本物」という単語を使いたがる理由です。
要は、情報弱者は“論理”優位ではなく、
“感情”優位なのです。
ですから、情報弱者の人に対して、
「では、あなたが言うところの“本物”とは何か、
定義を“感情的”ではなく“論理的”に教えてください」
と質問すると、答えに窮(きゅう)するのです。
仮に答えられる場合であっても、
・「いやー、自分がすごいと思ったものです」
・「他の人とは違って、オーラがあるものです」
・「見た瞬間にゾクッとするようなものです」
と、結局、“感情”で回答するのです。
これは興味深いですよね。
“論理的”な定義をこちらは質問しているのに、
答えはなぜか“感情”になっていて、
話が噛み合っていないからです。
こういったところで、相手の論理力、
もしくは情報弱者の度合いがわかるわけです。
さて、何かの講師が、自分の講座 を販売した後に、
「なぜ、この講座に申し込んだんですか?」
と参加者に質問をしたとしましょう。
「●●さんの言うことが“本質”だと思ったから」
と答える人は“情報強者”の確率が高い。
「●●さんは“本物”だと思ったから」
と答える人は“情報弱者”の確率が高い。
また、講師が出すメッセージとかセールストークでも、
論理力もしくは情報弱者の度合いを判断できます。
「この講座では“本質”の情報をお届けします」
と言っている講師は“情報強者”の確率が高い。
「この講座では“本物”の情報をお届けします」
と言っている講師は“情報弱者”の確率が高い。
あなたが情報弱者になりたくないなら、
前者の講師から学びましょう。
後者の講師からは学ばないことをオススメします。
いずれにせよ、言語によって境界が生まれるので
こっち側の人間なのか、あっち側の人間なのか、
目の前の人が使う言語で判断できるのです。