こんにちは。
相馬一進(そうまかずゆき)です。
ドストエフスキーの代表作である
『罪と罰』というタイトルにあるように、
罪と罰というのは必ずセットになっています。
つまり、コインの表裏と同じで、両者は切り離せず、
罪があるから罰を受けるのであり、
罰を受けているのであれば罪がある、のです。
これが分かると、その人の自罰(じばつ)的な行為から、
その人の考え方読み取ることができるのです。
自分を罰している人は、
そこに何かしらの罪の意識があるからです。
例えば、「お金を受け取ってはいけない」と考えていて、
お金に対して罪悪感がある人の場合について
考えてみましょう。
そういった考えを持っている人が
お金を受け取ってしまうとどうなると思いますか?
「お金は受け取ってはいけない」という
自分の「法」を犯したわけですから、
非常に強い罪悪感にさいなまれますよね。
すると、
「自分はやってはいけないことを、やってしまった」
という、その非常に居心地が悪い感情を
手放すために自分を罰するのです。
例えば、
・手に入れたお金を無駄使いしてしまう
・暴飲暴食に走り、自分の健康を害する
・性的放蕩に走って、ストレス発散をする
・風邪を引いて、自分の体を痛めつける
・交通事故を起こしてしまう
などです。
こうして、自分をひと通り傷つけると、
贖罪(しょくざい)としての罰を受け終わるので、
感情が安定するというわけです。
お金に限らず、もし誰かが、(もしくはあなたが、)
上記のような行動を取っているとしたら
「ああ、この人は、ここに罪悪感があるんだな」
と察してあげましょう。
そして、そういう人には、
私の「お金の心理学」講座を受講するよう
勧めてあげて下さい。(笑)