こんにちは。
相馬一進(そうまかずゆき)です。
多くのセミナー参加者と話していて感じるのは、
「教育について誤解をしている人が多い」ということ。
教育の本質は、全体を底上げすることでもなければ、
できる人とできない人の能力の格差を
せばめることでもありません。
「能力の格差を広げること」なのです。
つまり、教育をすればするほど、
できる人は超天才になっていく一方で、
できない人は少しマシになるだけ、なんですよね。
たとえば、パソコンが苦手な人がいたとします。
残念ながら、そういう人は
いくらパソコン教室に行ったところで、
人並みにパソコンが使えるようにさえなりません。
ですが、パソコンが得意で、
ビル・ゲイツのように先天的に、
プログラミングができる人がいたとします。
そういう人は、パソコンを習えば習うほど
超人的なプログラミングスキルを身につけられるのです。
わかりますか?
教育をしても、ほとんど底上げなんてされません。
できる人とできない人の能力の格差はせばまるどころか、
どんどん広がっていくのです。
例えて言うなら、パソコンの能力が
30点の人が教育を受けると、
10点アップして40点になるとすれば、
120点の人がまったく同じ教育を受けると、
180点アップして300点になるイメージです。
教育によって能力の格差が広がるのは
音楽やスポーツ、IQ、執筆、数学などの分野で顕著で、
約7~9割が遺伝だけで決まります。
ですから、これらの分野において
先天的な才能を持っていない人は
才能を持っている人に引き離されていくのです。
乱暴な表現をするなら、先天的な才能がなければ
どんなに努力をしてもほとんど無駄な分野が
音楽やスポーツ、IQ、執筆、数学ということです。
私が、「自分最適ビジネス」、すなわち
「自分に最適なビジネス」をすることを
勧めているのはこれが理由です。
自分に向いていないことをやったところで、
できる人にどんどん引き離されていって、
能力の格差が広がるだけだからです。
努力さえすれば、才能がなくても
一流になれるというのはただの暴論。
自分の才能がないところで努力をするのはやめ、
自分の才能があるところで勝負しましょう。
そして、教育者の仕事の本質は、
落ちこぼれを出さないことでもなければ、
弱点を克服させることでもありません。
生徒の、先天的な才能がない分野を見つけ、
「努力しても無駄」という絶望を与えて
その分野の努力をただちに止めさせることです。
その後、生徒の才能がある分野を見つけ、
そこに多くの努力と時間とお金をかけさせて、
その才能を花開かせることなのです。
コメント
全く同感です。うちの会社にも仕事にめちゃくちゃ時間をかけるのですが、出来映えが今一の社員がいます。いろんな人から指摘を受けてかわいそうですが、本人のために違う仕事の方が良いと思います。但し向いている仕事がなかなか思い浮かばず、そこが悩みです。