こんにちは。
相馬一進(そうまかずゆき)です。
前回私は、「良心的な価格」という表現を書きましたが、
「この表現を使う人は、自己肯定感が低い人」
ということに気づきましたか?
なぜなら、「良心的」という単語は
「安い」とほとんど同じ意味で使われるからです。
これは、典型的な善悪二元論であり、
安いのは良心がある証拠、
高いのは良心がない証拠という論理です。
前回も書きましたが、自己肯定感が低い人ほど、
「自分にとっての快と不快を
善と悪にすり替えて、正義をふりかざす」
といった傾向があります。
それゆえ、自分が買えないような
高い商品を売っている会社に対する不快感を
悪にすりかえて、正義をふりかざすのです。
「あの会社は、搾取している会社だ」とか、
「あの会社は、あくどい商売をしている」というように。
自分が買えないような高い商品を
売っている会社は「不快」でしょうが、
それだけで「悪」とは判断できませんよね。
同様に、自分でも買える安い商品を
売っている会社に対する快感を
善にすりかえることも多いです。
ですから、自己肯定感が低い人ほど、
「あの会社は安い商品を売っていて“良心的”だ」
と評するのですね。
値段の高い安いと、快不快は関係がありますが、
善悪(良心のあるなし)は関係がないのです。
値段が安くても良心がない人は大勢いますし、
値段が高くても良心的な人は大勢いますから(笑)。
たしかに、正義をふりかざすと
私たちは一瞬にして悦にひたれますし、
不快なストレスを発散できます。
しかし、そんなことをしたところで、
何も人生が変わらないんですよね。
高い価格で売っている会社が値下げしてくれるわけがなく、
あなたの収入が上がるわけでもないからです。
むしろ、そうやってストレス発散をすると、
「不快から抜け出そう! 行動して現実を変えよう!」
というやる気が薄れてしまいます。
その結果、現状維持の人生になってしまいます。
建設的な人ほど、自分の不快感に気づいたときは、
それを「自分が行動するモチベーション(やる気)」に
変換するのです。